作り手の想いTHOUGHTS OF THE CREATOR

日本唯一の手作りビニール傘専門メーカーが手がける、
安心安全な透明傘

ホワイトローズ株式会社

ホワイトローズ株式会社画像

日本におけるビニール傘文化の草分けであるホワイトローズ株式会社。その歴史は江戸時代にまで遡ります。時代の変化にしなやかに対応しながら、煙草商人から雨具商、和傘問屋、ビニール製傘メーカーへと変遷を遂げてきました。代表の須藤氏に、300年にわたる会社の歴史と東京でのものづくりについてお聞きしました。

- ユニークな社史をお持ちですね。

創業は享保6年(1721年)。甲斐の住人、武田源勝政が江戸駒形に出て煙草商人となり、初代武田長五郎と名乗ったのがはじまりです。4代目武田長五郎から雨具商に転向し、徳川幕府御用達として、参勤交代の大名行列の雨具一式を納入していました。

和傘問屋を経て、傘メーカーとして大きな転換期を迎えたのが昭和20年代。当時の傘の主流は綿傘だったので、濡れると色落ちするという課題を抱えていました。そこで、9代目が注目したのが、進駐軍がテーブルクロスとして日本に持ち込んだ「ビニール」です。「濡れて色落ちするなら、濡れないようにカバーをかければいい」という、極めて斬新かつ、今では滑稽ともいえるような発想で生まれたビニール製傘カバーは、またたくまに人気となり、飛ぶように売れました。

昭和30年代になると合成樹脂繊維「ナイロン」が誕生し、丈夫さと縫製のしやすさから傘素材の主流となり、傘の大量生産が一気に進みました。傘カバーも不要となり、ここで9代目は考えます。「完全防水素材なら、いっそのことビニールフィルムで傘を作ったらどうだろうか?」と。しかし、繊維素材を使うのが当たり前だった当時の小売・流通業界には見向きもされません。「ビニール素材を骨に直接張るなどもってのほか!」と一蹴され、不遇な時代が続きます。実は、ホワイトローズという社名は、この頃に作った乳白色のビニールにバラ模様を印刷した傘に由来しています。

転機が訪れたのは1964年、東京オリンピックの年です。当社のビニール傘がアメリカから来日した米大手洋傘流通のバイヤーの目に留まり、「こんなものが作れるのか、ぜひニューヨークで販売したい」とオファーをくれたのです。東京オリンピックは実質的なビニール傘元年といえるでしょう。

とはいえ、その後もなかなか日本では浸透しませんでしたが、日本人デザイナーが活躍するニューファッションの時代になり、”市場にないもの”を求めるトレンドが沸き起こります。そこで当社の傘に注目が集まり、ビビッドな色で自由なデザインが描けることもあって話題に。ファッションショーにも参加しました。当時流行したミニスカートに合わせてミニサイズの傘も作りましたね。小さいので雨が降ったら濡れてしまうんですが(笑)。

その後、ドラッグストアやコンビニ等での店頭販売戦略も功を奏して、一気に国内にビニール傘が認知されていきます。アジアの安価な傘に押され、今ではビニール傘専門メーカーは当社だけになってしまいました。今は、値段で勝負する使い捨てのビニール傘ではなく、一生ものの国内製造のビニール傘を作っています。

御社が作るビニール傘の特徴を教えてください。

須藤氏画像

大きな特徴は、「逆支弁構造」です。外からの雨風は防ぎ、内側からの風だけを通す「逆支弁」をあけることで、強風に強く、ひっくり返りにくい構造を実現しています(特許第5285402号登録技術)。

生地には3枚重ねの多層オレフィン生地を採用。ベタつかないのでワンタッチで開くジャンプ傘も作ることができます。傘骨にはカーボンやグラスファイバーを使って軽さと丈夫さを両立させる一方で、永く愛着を持って使っていただくために、持ち手と石突きには桜、欅、楓などの天然木を使用しています。また、全商品に傘袋をおつけしています。

一番のこだわりは、360度から光を採り込み周りを見通せるというビニール傘ならではの安心・安全です。あるハンディーのある方は「透明の傘が一番安心。自分は周りがよく見えるし、すれ違う方も自分をはっきり認識して道を譲ってくれます」とおっしゃっていました。「人間を守ってなんぼ!」がホワイトローズの製品コンセプトです。

- さまざまな商品を開発されていますが、アイデアのヒントはどこから?

ビニール傘画像

お客様の声にヒントをいただくことが多いですね。「傘を差しても相手の顔が見えて、かつ庶民的に見える傘、悪天候でも壊れない傘を作って欲しい」という注文を受けるなど、世の中のさまざまなシーンで「透明で、大きくて、丈夫なビニール傘が欲しい」という需要があります。宮内庁からの依頼では、美智子上皇后陛下が秋の園遊会でお使いになる傘をお作りしたこともあります。

「お墓の前で読経するときに2人が一緒に入れるように」というお寺のご住職からのご要望で85cmの大きな傘も作りました。その後、中央競馬で馬主さんと優勝馬が記念撮影するときに使われたり、ゆるキャラが使ってくれたり、意外なところで使われるようになっています。

百貨店のイベントで声が多い折りたたみ傘もクラウドファンディングで製作。折り目が残りにくい透明フィルムで折りたたみ傘を作るのは実はとても難しく、開発に3年かかりました。

- 10年近く同じ傘を愛用していらっしゃる方がいるそうですね。

それは、当社の傘が修理可能だからです。どんなに丈夫な傘でもいずれは壊れるもの。でも、金属部分があるので捨てるときは不燃物になってしまいます。ですから、すべて直して使えるように作り、1年でも永く使える傘、10年後でも愛着を持って使っていただける傘を製造しています。

SDGsなんて言葉が生まれる以前から、そもそも直して使うというのが日本の伝統的なものづくり。自分たちで作ったものは自分たちで直す、という考え方はものづくりの基本だと思います。

- 東京でものづくりをすることの楽しさやよい所を教えてください。

東京は情報、ファッション、生活様式など、日本の文化の中心です。日本全体の標準、凝縮された典型として機能しているので、何かを発信・販売したいと思うなら、東京で情報を得て商品開発し、テスト販売することが必須ではないでしょうか。いま売れているものを敏感に察知し、実物をいつでも見に行けるのも東京のメリットだと思います。

ものづくりや伝統工芸に関わるさまざまな技術を持った職人さんが集まっているのも東京ならでは。何か新しいことをはじめるときに力を貸してくれる職人さんがそばにいるのは非常に心強いことだと思います。世界的にみても東京の発信力は突出しているので、今後も東京でものづくりを続けていきたいと思います。

製品詳細

PRODUCTS

ホワイトローズ株式会社 開発事業者

https://whiterose.jp
※商品の詳細については、開発事業者にお問い合わせください